Canadian Style 太陽とともに - カナディアン・ソーラーのウェブマガジン

Scenes of Canada

カナディアン・ソーラーのふるさとカナダの、豊かな自然や野生動物、素朴なライフスタイルなどをご紹介します。

太陽の大地カナダ | 「赤毛のアン」の島、プリンス・エドワード島

小説「赤毛のアン」の舞台となったプリンス・エドワード島。
カナダ最小の州でもあるこの島には、物語に描かれたままの美しくてやさしい風景があふれています。

セント・ローレンス湾に浮かぶ小さな島

プリンス・エドワード島は、カナダの東海岸、大西洋のセント・ローレンス湾に浮かぶ横長の島です。面積は約5680㎢と愛媛県くらいの大きさで、人口は約14万人。日本の27倍もある広大なカナダの中では、地図上でも見落としてしまいそうなほど小さな島ですが、ここだけでカナダ最小サイズの州として成り立っています。

元は先住民ミックマック族が暮らしていた島ですが、大航海時代以降ヨーロッパ人が流入し、17世紀にフランス領となりました。その後、英仏による植民地戦争が繰り広げられ、1758年にイギリス領に。1864年にはカナダの独立を話し合う歴史的な会議「シャーロットタウン会議」がこの島で行われ、1867年のカナダ建国へとつながりましたが、当初プリンス・エドワード島は連邦には参加せず、独立した植民地としての道を選びます。カナダ連邦に参加したのは建国から6年後の1873年のことでした。

広大なカナダ本土から海に隔てられて浮かぶ島の立地が、人々にカナディアンであることよりも“アイランダー”であることの自立心を育んだのかもしれません。以来、小さいながらもひとつの州であることは、島の人々にとっては大きな誇りとなっています。

様々な緑がパッチワークのように広がる島内
様々な緑がパッチワークのように広がる島内
19世紀の面影を残す州都のシャーロットタウン
19世紀の面影を残す州都のシャーロットタウン
「シャーロットタウン会議」が行われたプロビンスハウス(州議事堂)の2階には会議場の「連邦誕生の間」が残されている
「シャーロットタウン会議」が行われたプロビンスハウス(州議事堂)の2階には会議場の「連邦誕生の間」が残されている

小さな島に残された物語そのままの世界

プリンス・エドワード島を世界的に有名にしているベストセラー小説があります。この島出身の作家ルーシー・モード・モンゴメリが1908年に出版した「赤毛のアン」です。空想好きの孤児アンが、この地の美しい自然の中、様々な人とのふれあいを通じて成長していく物語。世界中で翻訳されましたが、とりわけ日本での人気は高く、1952年に村岡花子氏によって初翻訳されてから現在に至るまで、多くの人に愛読され続けてきました。物語の世界観に憧れるあまり、地球のほぼ反対側ともいえるこの島まで訪れる日本人ファンも少なくありません。このため現地では、日本人専用のツアー会社もあるほどです。

実際、プリンス・エドワード島には「赤毛のアン」に描かれたままの場所や風景があふれています。孤児アンが引き取られて生活するアボンリー村は、島の北部にある町キャベンディッシュがモデル。アンが暮らした家グリーン・ゲーブルズは、モンゴメリ自身が子供の頃よく訪れて遊んでいた従兄弟の家そのものです。このグリーン・ゲーブルズをはじめ、モンゴメリの生家、彼女が働いていた郵便局、結婚式を挙げた屋敷、そしてお墓まで、キャベンディッシュを中心にモンゴメリ縁の地は数多く残され、文化施設として公開されています。

また物語の中でアンが名付けた「恋人の小径」や「お化けの森」、「輝く湖水」などの景観も、そのままの美しさで見ることができます。多くのファンにとってこれらはまさに聖地とも言うべき場所で、「アン巡り」の旅では欠かせないスポットとなっています。

アンが暮らした家のモデルとなったグリーン・ゲーブルズ
アンが暮らした家のモデルとなったグリーン・ゲーブルズ
家の内部は物語そのままに再現され、パフスリーブのドレスが掛かったアンの部屋も
家の内部は物語そのままに再現され、パフスリーブのドレスが掛かったアンの部屋も
グリーン・ゲーブルズ博物館(銀の森屋敷)。モンゴメリの親戚の家で、結婚式もここで行われた
グリーン・ゲーブルズ博物館(銀の森屋敷)。モンゴメリの親戚の家で、結婚式もここで行われた
グリーン・ゲーブルズの裏にのびる「恋人の小径」は、物語の世界に浸ることができる美しい散策路
グリーン・ゲーブルズの裏にのびる「恋人の小径」は、物語の世界に浸ることができる美しい散策路

のどかな時間が流れる「波間に浮かぶゆりかご」

プリンス・エドワード島の魅力は、「赤毛のアン」だけではありません。なによりも印象的なのは、島に流れるのどかな空気感です。穏やかな海と赤い岩の海岸線、なだらかな起伏を繰り返す緑の大地、パッチワークのように広がる田園地帯、咲き乱れるルーピンの花々…。その中にいると流れる時間すらゆっくりと感じられます。

かつて先住民ミックマック族はこの島を「アベグエイド(波間に浮かぶゆりかご)」という名で呼んでいましたが、その名の通り、静かな海に守られているような心地よさがここには漂っています。

初夏、緑の大地に咲き乱れるルーピンの花は、プリンス・エドワード島を象徴する光景のひとつ
初夏、緑の大地に咲き乱れるルーピンの花は、プリンス・エドワード島を象徴する光景のひとつ
島の土は赤く、海岸線には独特の赤茶色の崖やビーチが広がる
島の土は赤く、海岸線には独特の赤茶色の崖やビーチが広がる
島の外周には古い灯台が建っており、これらを巡るドライブも人気
島の外周には古い灯台が建っており、これらを巡るドライブも人気

この独特の平和な空気を作っているのは、他ならないアイランダーたちです。島の自然を愛し、意味のない開発は望まず、地に足の付いた生活を求める人々です。

例えば、島に渡る橋の建設にまつわる経緯を振り返ってみても、彼らの郷土愛は伝わってきます。プリンス・エドワード島は本土からさほど遠いわけではないのですが、島への交通手段は長い間、1日数便の空路またはフェリーのみという孤島状態でした。1997年にようやく、ニューブランズウィック州と島を結ぶ13㎞のコンフェデレーション・ブリッジが完成し、はじめて陸路で島に渡るルートが開通しました。けれど20世紀も終盤のこのときですら、多くのアイランダーから「島は今のまま、孤立していた方がいい」という意見があり、橋の着工に至るまで長い年月を要したといいます。

幸いにも、橋ができたことによる影響は大きくはなかったようです。大型ホテルなどの建設は行わず、むやみに旅行者を増やさないという彼らの方針も反映されているようで、島ののどかさは今もずっと維持されています。

このような話を聞くと、アイランダーは閉鎖的で偏屈なのではと思われがちですが、決してそんな事はありません。旅行者に対してもとても親切でフレンドリーです。「一番に望むのは、愛するプリンス・エドワード島の自然の中で背伸びをせず、落ち着いた生活を維持する事」と言うのは島で小さなB&Bを営む女性。ゆったりとした生活リズムがあるからこそ、美しい風景と穏やかな空気を共有しようと訪れる人を、心から歓迎できるのだと話してくれました。

島の主要産業のひとつは今も農業。島内にはジャガイモやトウモロコシ、麦などの広大な畑が広がる
島の主要産業のひとつは今も農業。島内にはジャガイモやトウモロコシ、麦などの広大な畑が広がる
島の自然と静かな生活をこよなく愛するアイランダー
島の自然と静かな生活をこよなく愛するアイランダー
漁業も伝統的な島の産業で、特産品のロブスターやカキ、ムール貝などを水揚げする漁港が点在
漁業も伝統的な島の産業で、特産品のロブスターやカキ、ムール貝などを水揚げする漁港が点在
カナダ本土とプリンス・エドワード島を結ぶコンフェデレーション・ブリッジ
カナダ本土とプリンス・エドワード島を結ぶコンフェデレーション・ブリッジ

素朴なカナダの原風景と出会える島へ

プリンス・エドワード島では、とにかくのんびりとした過ごし方が似合います。海岸線に点在する古い灯台を巡ってドライブしたり、赤土の道をサイクリングしたり、どこまでも続くジャガイモ畑の風景をスケッチしたり。ゴルフやフィッシング、シーカヤック、キャンピングなどのアクティビティも充実しており、アウトドア体験を求めて訪れる人も少なくありませんが、忙しく遊ぶのではなく、あくまでも気軽に楽しむのがこの島のスタイル。ビーチでゴロゴロしたり、自然の中を散策したり、そんな何気ない時間が一番思い出に残るかもしれません。

現在も本土から島へとつながる陸路は、コンフェデレーション・ブリッジ1本だけ。隔離された別世界のようなプリンス・エドワード島の姿は変わることがありません。とびきり素朴なカナダがここにあります。

夏には静かなビーチでアイランダーと共に海水浴を
夏には静かなビーチでアイランダーと共に海水浴を
島内全体に伸びるコンフェデレーション・トレイルなど、ハイキングやサイクリングを楽しめるルートも充実
島内全体に伸びるコンフェデレーション・トレイルなど、ハイキングやサイクリングを楽しめるルートも充実
コンフェデレーション・ブリッジを背景に今も昔ながらの農場風景が広がる
コンフェデレーション・ブリッジを背景に今も昔ながらの農場風景が広がる

Photo: Tourism PEI / John Sylvester, Emily O’Brien, Sander Meurs, Heather Ogg, Paul Baglole, Stephen DesRoches, Stephen Harris, Yvonne Duivenvoorden